「人」、「モノ」、「お金」が国境を越えれば、それにまつわる紛争もまた、国境を越えて発生します。そして、日本から海外に移り住んだとしても、日本との何らかの関係性を残している以上、日本の裁判所とも金輪際無縁というわけにはいきません。どのような場合に、日本の裁判所が海外在住者を裁判所に呼び出すことができるのか、ごく最近の2012年4月1日に改正された民事訴訟法に、ようやく一部の規定が整備されました。
例えば、日本で借りたお金を返さないまま、海外に移住してしまった人や、海外で借りたお金であっても、日本になんらかの財産を残していった人に対しては、お金を貸した人は、貸金の返還を求めて、その海外在住者に対して、日本の裁判所に裁判を提起することができます。また、日本で起こした事故の損害賠償をしないで日本から出国してしまった場合にも、その事故の被害者は、やはり日本の裁判所で損害賠償を求める裁判を起こすことができるのです。
もっとも、海外在住者が日本の裁判所から直接呼び出し状を送り届けられることはありません。裁判所は、日本の国家機関であり、日本の権力の及ぶ範囲を定める「国境」を越えて、その権限を行使することができないのです。
海外在住の日本人の場合、一般的には、その国の日本領事館から呼び出しを受けたり、領事館から送付されて、日本の裁判所からの呼び出しを受ける「領事送達」という方法がとられますが、これを拒否していると、今度は、その国の中央当局や裁判所がやってきて、日本の裁判所に提出された訴状などをその国の方法で届けにやってくる手続きがとられることとなります。
このような手段を取らない国や、手段が功を奏さない場合、日本の裁判所は、最終的に、日本の裁判所の掲示板に訴状を掲示して、訴状が受け取られたこととみなす「公示送達」という手段を認め、裁判を開始して、判決を下してしまうこともあります。その場合、例えば日本に財産を残して海外に移り住んだ海外在住者は、知らぬ間に下された判決に基づいて、日本の財産が強制執行されてしまうという事態も生じうるのです。
ただ、日本の裁判所の判決に基づいて、外国に保有する財産に直接強制執行をされることはありません。前述の通り、裁判所は外国ではその権限を行使することはできないため、海外では日本の判決は、そのままではなんの効力もありません。日本の判決を元に、海外在住者に対して海外で強制執行するためには、その国の裁判所で、日本の判決を「承認」してもらい、その国の執行機関にて強制執行をとらなければならない、とてもハードルが高い手続きが待ち受けているのです。
このように、「裁判」が国家権力の発動であるとの事情は、国際紛争の解決に対する足かせとなっており、それは国際取引の萎縮にもつながっていきます。そこで、世界の国々は、民間機関による「仲裁」手続きによって出された判断を、原則として各国で「承認」して、「執行」させるための枠組みを作りました。この枠組みはいわゆる「ニューヨーク条約」と呼ばれる条約でして、日本、シンガポールを始め、2014年10月時点で、世界153ヵ国が締約国となっています。
現在では多くの国際取引契約に、紛争が生じた場合には裁判ではなく「仲裁」で解決することが定められており、実はシンガポールは、世界各国の仲裁を数多く扱う、仲裁の中心地でもあるのです。タンジョンパガーの駅前、マックスウェルロード沿いに建つ歴史的なビル(シンガポール国際仲裁センター)で、世界の法律家たちが、今日も論を戦わせています。